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七六〇年の伝統を守り続ける 博多織

2016年11月30日

1235年(喜禎元年)、33歳の満田弥三右衛門は、弁園和尚と共に宋(南宋1127〜1279)明州へ向け博多の 津を出発。宋に6年間滞在し、織物、朱焼、箔焼、 そうめん、じゃこう丸の5つの製法を修得し、1241年(仁治2年)満田弥三右衛門、弁園和尚(聖一国師)と博多の津に帰ります。博多に戻った弥三右衛門は、 これらの製法を博多の人々に伝えましたが、その中の織の技法だけは家伝として、広東織と称して独自の 技術を加えながら伝えていきました。

さらにその250年後、弥三右衛門の子孫、彦三郎が 再び明へ渡り、織物の技法を研究。帰国後は、竹若 伊右衛門と工法の改良を重ね、琥珀織のように生地が厚く、浮線紋や柳条などの模様の浮でた厚地の織物を作り出しました。そしてその織物が作られたこの土地、 博多の地名をとって、「覇家台織」(はかたおり)と名付けられたと伝えられています。現在はライフスタイルの変化とともに、HAKATA JAPAN、帯、ネクタイ、緞帳など新しい展開をしています。

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