
オンラインマガジン-日本各地の職人を訪ね、Made in Japanのものづくりの現場をご紹介しています。

反物以外のものへ生まれ変わった久留米絣が店頭に並び、愛されること、それが自信と励みになると嬉しそうに坂田憲子さんは、「今思えば、私は久留米絣が好きだったんだなって思います・・・。」と、自分が一番の久留米絣のファンであることに気づく。
久留米絣の歴史はひとりの少女から始まった。1788年、米問屋の家に生まれた井上伝は幼い頃から機織りの好きな少女だった。12、3歳の頃、着古した藍染めに白い斑点模様ができていることに気がつき、現在の久留米絣の元になる技法を思いついた。誰もが気にも留めないことを疑問に思い、好奇心を持って追求していく。そんな少女の情熱が現在の久留米絣にも息づいている。
昭和23年に創業した(有)坂田織物。戦後間もなく先代の坂田政次氏が地元の産業であった久留米絣を織り始めたことからはじまり、現在では洋服や帽子など、様々なアイテムで多くの人に愛されている。
坂田さん「父は戦争から帰ってきて、はじめは作業着用の生地として久留米絣を織りはじめたんです。そして時代の変化とともに反物だけでは商売が難しくなり、2代目である主人が反物にハサミを入れて、小物入れやバッグなどを作り始めました。」
そう話してくれるのは、常務取締役の坂田憲子さん。現在の代表取締役、坂田撤裕さんとご夫婦で久留米絣を継承している。
坂田さん「主人は銀行に勤めていたのですが、当時、海外転勤話が持ち上がりまして。結局一人息子ということで実家に入ることになり、その1年後に私が嫁いできました。私はそれまで商売とは無縁の家でのんびり育ってきたので、最初のうちは世の中がひっくり返ったような毎日でした(笑)。商売の大変さはもちろん、機織りの工程も覚えるのが大変で大変で。」





















































