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選・文:田中敦子 撮影:SAJI(EPLP)
寄木細工らしさを残しながら、今の暮らしに溶け込むデザインを心がけている露木木工所の品々。
江戸時代に作られた箱根の寄木細工。江戸時代の典型的な寄木は、5ミリほどの厚みの部材をランダムに切って寄せた乱寄木。拭き漆を施している。
(※1)『Nipponと暮らす』4月号で紹介している角盆。
鉋で削りズクを作る様子
木工の長い歴史があればこその寄木細工
露木木工所の創業者である露木清吉氏は、箱根寄木細工発祥の地、箱根町の畑宿生まれ。ここで、寄木細工の創始者である石川仁兵衛氏の孫、仁三郎氏に師事した後、小田原市内の早川で、独立したという。大正15年(1926年)のことだった。
箱根が寄木細工の本拠地というイメージがあったから、畑宿を中心に寄木細工が広まり、小田原も範囲内になっていったのかと思っていたが、
「実は、このあたりは平安時代から木工が盛んで、お椀などの挽き物は、ここが本拠地なんですよ」
とは、露木木工所の三代目で木工家でもある露木清勝さん。
もともと箱根は材木の調達地。その麓である小田原で、木工が栄えたのだ。露木木工所の創業の地であり、今は寄木ギャラリーになっている早川の周辺には、平安時代より木工業者の信奉を集めた紀伊神社もある。木地挽きの祖・惟喬親王を祀る神社で、土地の人からは「木の宮さん」と親しまれているそうだ。
木工の長い歴史があったからこそ、寄木細工という新しい発想が江戸時代に生まれ、飛躍的に発展したのだろう。そして、露木家の初代が創業の地として早川を選んだのも、確かな理由あってのことだったのだ。
静岡の寄木技法の導入で今の姿に発展
露木さんのギャラリーでは、現代の作品だけでなく、初代清吉氏、二代目清次氏の作品や、また江戸時代の初期寄木作品も見ることができる。
訪問した際には、江戸時代末期に作られたというシンプルなお盆が展示されていた。乱寄木に細かい単位寄木が象嵌されている。
「初期の箱根寄木細工は、このタイプが多いんです。五ミリほどの厚みの部材を寄せていて、漆塗装もしています」
漆塗装してしまえば、樹木それぞれの色の差異はわかりにくくなる。
「当時は、色よりも、模様の面白さで喜ばれたんでしょうね」
実はこのお盆、『Nipponと暮らす』4月号で紹介している角盆(※1)のヒントになったもの。いにしえの作品が持つ普遍的な造形美に、現代の暮らしに感覚と取り入れて生まれた、温故知新の作なのだ。
では、現在のような〝小寄木〟と呼ばれる連続模様が生まれたのは、いつ頃なのだろう。
「寄せた木を薄く削れる鉋が発達した明治に入ってからのようです」
と露木さん。
箱根の寄木細工は、東海道を往来する旅人たちの土産物として広まった。一方、当時の静岡では、小寄木で家具を作っていた。地理的にそう遠くない静岡の技法が箱根に伝わり、しかも大鉋という広い面を一気に薄く削ることができる鉋が生まれたことで、ズク作りと呼ばれる、薄く削った経木状のものを木箱に化粧貼りする寄木細工が誕生したのだった。
「ズクっていう呼び名には二説あるんです。ひとつは、鉋屑のクズを、逆さにしたというもの。もうひとつは透けるように薄い〝透く〟が訛ったという説。どっちでしょうね」
職人仕事は口伝が多く、文献として残ることは少ない。露木さんは、埋もれた寄木細工の歴史をもっと調べていかなければいけないと、考えている。
「それにしても、江戸時代の寄木細工はすごいですよね。見てください、この寄木に使っている部材の薄さ。今みたいな鉋がなくて、よく削っていたと思いますよ」





















































